従業員を叱らない教育でチェーン店「名代富士そば」を内外で100店舗以上を展開

2013年7月に日本国内で100店舗を達成し、同年10月にインドネシア・ジャカルタに海外1号店を出店したチェーン店「名代富士そば」は、主に都内の駅チカで24時間営業をする立ち食いそばとうどんチェーン店です。
もともと立ち食い店からスタートした「名代富士そば」ですが、2000年からは店内が狭い3店舗を除き全店舗に椅子やテーブルが備えられています。
創業者の丹道夫会長が起ち上げた「名代富士そば」ですが従業員を叱らない教育と、アイデアにダメと言わない独自の経営スタイルに成長の秘密がありそうです。

丹道夫会長の成功の軌跡

丹道夫会長は1935年(昭和10年)に名古屋市で生まれますが生後すぐに、父親が死去し母親の実家がある愛媛県で生活を始めます。
5歳の時に母親が再婚しますが継父との折り合いが悪く、上京と帰郷を繰り返し4回目の上京で給食センターに就職します。
その給食センターが弁当屋を経営していたことがきっかけで埼玉県の川口市で、工場で働く従業員向けの弁当屋をオープンし成功を収めます。
その後も不動産業を始め倒産寸前まで追いつめられますが、別荘地が売れ会社はあっという間に急成長を果たします。

日本初の24時間営業の立ち食いそば店を渋谷にオープン

丹道夫会長は1966年に今の「名代富士そば」を渋谷にオープンし1972年にダイタンフード株式会社を設立し、2000年代の後半には1日に5万食を売りこの業界ではトップクラスの立ち食いそばチェーンへと成長を遂げます。
ただこれまで順調に来たわけではなく共同経営者との確執や、母親や自身の病気や新事業の住宅販売の赤字などさまざまな困難が立ちはだかったようです。
それでも立ち食いそばとうどんのチェーン店の展開に専念することで、大きな成功を収めています。

まとめ

丹道夫会長はこの業界で生き残るために社員を叱ることも、社員のアイディアにダメだと言ったことはないといいます。
そばにトーストやたこ焼きを入れアイディアも否定しなかったようで、もし売れなかったら止めればいいと思っているそうです。
むしろ社員のアイディアにダメだと言って、その後にアイディアが出てこなくなるほうが怖いといいます。
さらに丹道夫会長は誰かが見てくれているということを忘れてはいけないといい、手を抜かずに目の前のことを一生懸命やり失敗しても、その失敗を成功のもとにすればいいとエールを送っています。

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